奥津軽 「虫と火、まつり」 プレ演舞
- Day:2015.06.22 12:10
- Cat:五所川原

虫です。
よく分からないけど連れて来られたんですが、この日五所川原では「奥津軽 虫と火まつり」という祭りがありました。
名前は聞いた事はありましたが、どういう祭り?????
車を土手沿いに停め、土手沿いでメインのステージがあるようですが行列も演舞もあるようなのでとりあえず「立ちネブタの館」前へ・・・

「虫送り」とは、田植えが終わった後、若者達が自分達の区域の田畑を鉦を叩きながら巡り歩き虫札(むしふだ。害虫退散、豊年満作等の祈願文が認めてある)をヨシに挟んで立て、それに藁で作った小さな虫人形を飾って歩き、次の日武者行列と大名行列等の混合された形の行列を組み人形山車を引いて村内を練り歩いたものである。

元々は豊年豊作の願いの儀式なのかと思っていましたが、はじまりは「飯詰」という地区を歴史から調べる事になるようで、私にはチンプンカンプン(爆)
五所川原駅前にも虫の山車が待機していました。

説明を簡単にちょっと頑張ります。
飯詰は、天文五年(1536年)に浪岡北畠氏が作った「津軽郡中名字」に飯積という古名で出ているようです。
村史によると、天正十六年(1588年)高楯城落城後、阿部三郎信友を奉行として飯詰の復興にあたらせた。
飯詰高楯城は、浪岡御所と言われた北畠氏の配下であった朝日左衛門尉藤原行安の居城であるといわれるが、朝日氏はただ一人無援の高楯城に立て篭もり津軽為信と戦うこと十年ついに力尽きて落城してしまった。
飯詰の村人達は城主の忠勇義烈の遺徳を偲び密かにその供養祭を行っていた。
それを虫送りにつなげて祭りにしたのが飯詰型虫送り原型であると考えられるようです。

天下泰平
国家安泰、
五穀豊穣、
悪疫退散、
の祈りを込めて・・・・

岩木山さいぎさいぎから始まり、知らない囃子が辺りを魅了する・・・





ちょっとチャーミングな子供達の振り・・・

色んな演舞がありましたが、説明が難しいです。
太刀振りのようなのもありましたし、外人さんの参加も結構見られました。
青森にはまだまだ知らない祭りがいっぱい・・・
写真だけですが、もう少し続きます。
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