十三湊(とさみなと)浪漫タップリウキウキ探訪♪
- Day:2019.01.06 14:35
- Cat:十三港
っていうか、渡辺謙が好きだった・・・小学生で私どんな趣味だったんでしょう・・・自分で思うけど、渋いな~(爆)
ってか、youtubuの選曲間違ったかな?こちらは真田丸♪
お好きなyoutubuでどうぞ(苦笑)
え~~っと、雪が溶けるまで待てない件があります!
実は以前より気になっていましたが、とうとう食いつく程になってしまった・・・
特に教科書に載ってるような事は知りません・・・
ただ、青森県民に産まれたからには青森の歴史を知っておきたい・・・
以前、十三湊について記事を書いたけど全然心が入ってない(爆)
そこからどんくらいの年月が経った?今さらハマっている(爆爆)
っていうか、最近歴史が好きだ・・・これも年のせいか???(爆)
とにかく青森の歴史が気になってしょうがない
しかし、ん~びゃく年前の青森の歴史だなんてほぼ書に残ってないあたりが一番ネックなのだけど、だからこそ余計気になる・・・
青森には名の知れた「津軽藩」「南部藩」「斗南藩」「豪族安東(阿倍)氏」が存在した・・・
調べれば調べる程、実際はそれぞれの歴史があり過ぎる・・・
よく知らないですが間違っていたらすいません、誰か間違いを正して下さって結構♪
津軽は元々南部が先祖?南部は岩手方面出身?斗南藩は長野の確か関ヶ原の戦いで青森に落ちて青森にりんごを広めた藩?
その中でも豪族安藤は、「安東」とも「安藤」とも言われていますが、元々の祖先は「阿倍」だそうです・・・
前九年の役(ぜんくねんのえき)1051年~1062年で朝廷側の源頼義と戦った阿倍貞任(あべのさだとう)の末裔とし、阿倍のを本性としていたとの事。津軽海峡を挟んで、蝦夷(北海道)を行き来しアイヌと交流を深め、特に北方産品(昆布、鮭、毛皮)を日本全国と中国やインド(?)にも交易を広げていたようです。
大変大きな水軍だった事が伺えます。
特にこの安東水軍を大きくしたのが、安東宗孝(あんどうむねすえ)だったかな~?
え~~っと、色々調べるうちにわけわからなくなりました・・・
十三港のしじみ漁の場所・・・

正月が明ければ、きっと美味しい寒しじみが~・・・ジュル♪
中世のメインロード♪

実際は、二度滅ぼされてどうにもならなかった大変な街の中心地区
まだ、「十三往来(とさおうらい)」とか読んでないので何も言えないのですが、実際はとっても大きな都市だった模様・・・

とにかく今は雪に覆われている為、何も見えましぇ~ン(涙)
こちらは旧十三湖小学校跡・・・

十三港調査室として使用していたようです

実はまさに、この場所が「豪族 安東氏」の館跡だった模様・・・

このグラウンドが安藤氏の館だったみたい・・・

その後はこちらの「浜明神宮(はまのみょうじんぐう)」

こちらは、十三湊に出入りする船舶を監視する重要な施設であったと考えられているようです。
当時は「濱明神宮」という名前だったそうで、延宝四年(1676)に創建され、文久三年(1863)に境内から119体の懸仏など宗教遺物が出土したとの事。
調べるとこれらの懸仏等の出土遺物は中世十三湊の最盛期(14~15世紀)の頃のモノであり、相当な規模を誇る宗教施設であったと考えられているとの事。
「懸仏」って、何?って思った方はググって下さい(苦笑)
伝説では、そのうちの2体が濱神社に残し、残りの117体は弘前の最勝院に収められたとなっていますが、現在では所在不明だそうです。
ってか、あの最勝院ですか~~??五重塔の塔の~~~?コレは上がります~~~!!まさに私の一代様じゃないっですか~!!!(>_<)フンフン!!
興奮が冷めやらんとです!!!
あ~~、それが本当であって欲しい~~・・・
はい、多分だいぶ確信地で勝負しています!

ただ、宗教施設っていうのがよく分かりません・・・

実は入ってお参りをしたかったんですが・・・誰もいないので断念・・・

凄い見晴らしの良い神社からの風景はこんな感じ・・・

この木がなければ、もっと見晴らしがイイ・・・
きっと、その昔はこんな木はなかったはず・・・
さてお腹が空いたので、ご飯を食べにここを去ります♪

十三湊(とさみなと)編、少し続きます☆
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