ロマン求めて奥州津軽十三湊
- Day:2019.05.25 22:05
- Cat:十三港
え~~っと、実は一度書いた記事が消えちゃいまして力を入れて書いていたのでだいぶ自分落ちてます・・・(涙)
私、何を書いていたんだっけ?
雨にも負けず、風にも負けず、頑張ろうと思います・・・エイエイオ~・・・
はい、雪も溶けたので以前より巡ってみたかったやつをやっちゃいました。
その名も「安東水軍」探訪です~!
ちょっと前説をグダグダやりますね・・・
今からおよそ江戸時代よりも昔の600年前の中世の頃、ここ十三湖がある五所川原市・市浦地区の地域は津軽の豪族・安藤氏が拠点にした場所だったようです。
安藤氏は、十三湊(とさみなと)と呼ばれたこの地で日本海を北方交易でブイブイ\(~o~)/言わせていました。
実はあまり詳しい資料とかないのですが有名なのは「十三往来(とさおうらい)」「津軽一統志」「十三湊新城記」。
更には「三津七湊(さんしんしちそう)」という、室町時代に成立した日本最古の海洋法規集である「廻船式目(かいせんしきもく)」に、日本の十大港湾として記されている三津・七湊の湊湾都市の総称でありますが、その中に十三湊も記載されている程の大きな湊都市だったようです。
ただ東北の地はまだまだ未知なる蝦夷(北海道)のような世界だった為、県外での情報量は少なく掴みどころがない土地だったと思います。
それでも、あちこちの色んな書物にチョコチョコ出て来ると言う事はそれだけのインパクトのある土地だった事には変わりはなかった事でしょう。
いっぱい伝えたい事はあります。
私もチョコチョコ出したいと思います・・・
まず行ったのは、「福島城跡」があった場所・・・

「福島城跡は」、十三湖北岸、標高20~30mの丘陵西端部に位置し内郭と外郭の二重構造からなる城郭遺構となっています。
内郭は一辺が約20mの短形をなし、土塁と外堀が巡るまさしく方形居館跡との事。
少し行くと井戸跡などあるようなのでちょっと探索♪

ほんの数百メートル行くと、「福島城外郭門跡」の案内がありますが何かあったようには見えなくて想像だけ巡らす・・・

先に行っても井戸跡も見つけられないくらいの雑草しか生えてない・・・残念・・・
んでもって、外堀を反対側にず~~っと歩いてみたら・・・
なんと、国道339号に出る・・・
「福島城外堀城跡」

どうしても城があった場所に行きたいのです!!!
少し国道を北に進むと・・・行けるのです・・・

多分複製なのかも知れませんが・・・それでも、なんだか当時の何かが見える気がしてならない・・・

現在では、いいだけ調査をしたのもあって何もなかった状態に戻されています・・・

東京大学東洋文化研究所が昭和30年(1955)に調査し、伝承に従って中世安藤氏の城郭ではないかと報告され、その後平成4年(1992)に国立歴史民族博物館が調査を行った所、中世城郭としては異質であり平安時代の後期(10世紀後半から11世紀代)の遺跡ではないかと報告されたようです。
それは大きな議論を呼んで、平成17年~21年度にかけて青森県教育委員会による福島城跡の本格的な発掘調査が進められました。
再調査し、門跡に伴って14世紀後半代の白磁碗が出土し中世に構築された事が分かり、平成17年~21年度にかけて内郭の調査を行った所、中世の武家屋敷が発見されている。

「福島城跡」が十三湊の最盛期(14世紀中頃から15世紀前半)の時代に築城されていた事が確実となり、十三湊を支配した安藤氏の居館として利用されていた事が判明している。
え~~~っと、この時の私の服装がもっとラフであればこの地を雑草なんか蹴散らして走り回りたかったです・・・
ちょっとこの時だけ、お嬢さんスタイルだっただけにこれ以上は近づけずでしたが・・・
もう少し安藤シリーズ続きます☆
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