安藤水軍的 小泊探索「柴崎城」
- Day:2019.05.26 20:00
- Cat:小泊
あ、やっぱり世代にはドンピシャ♪(苦笑)
はい!!安藤水軍にはまっておりますピーナッツです☆
以前からその名はしっていたものの、特に気にしなかったのですがある日突然気になってしょうがなくなるもんなんですね・・・
きっかけはあります・・・津軽と南部というものがあると知ってから、関係性がとても気になってしょうがないのです・・・
以前はお約束通り、津軽が一番だと思っていました。
それが、「えんぶり」を知ってからだいぶ気持ちが覆されまして更に南部の人って本当に良い人がいっぱいで、津軽から南部に結婚して移住している人もいます。もちろん、津軽に南部の人が結婚をきっかけに住んでる人もいます。
同じ青森に住んでいるのに若干違うイントネーションと言い回し、そして文化・・・
魅力があって嬉し過ぎるんです!!
小さい時、八戸の親戚の人がお歳暮で届いたお礼の電話をしてくれました。
電話に出たんですが実は何を言ってるか分からなくポカ~~ンとして受話器を持っていました・・・(涙)
ただ、「八戸の」と「うちの人いるが?」っていうのだけ聞き撮れて、お婆ちゃんに代わりまして黙って見てたら・・・
お婆 「うん!うん!なんもなんも!うん、ども!ども!へば!」・・・と、だけ言って電話を切ってしまいまして・・・
P 「おばあちゃん、すげ~~!何言ってるか分かるの???」
お婆 「あ~?何しゃべってるがお婆ちゃんでも分がらね~ね!ただ、どもども!!って言ってればいいんだね!!!」(爆爆爆爆)
・・・と言って笑った・・・恐るべしPお婆・・・子供ながらに感動して忘れられなかった衝撃の言葉でした(苦笑)
そんな事もあったこちら津軽と南部の人との交流・・・何もないわけではなかったのですが、特に深く付き合いはなくそれでもず~~っと気になっていた南部・・・
南部と言えば私には、そういうエピソードがあります・・・
日本海と蝦夷(北海道っていうかアイヌ?)を素晴らしい舵とりで商売し十三湊を大きくした安東水軍・・・
そういう人が青森津軽にいたって凄い事だし、夢があるじゃないですか~~!!!
以前より気になっていて、なかなか冒険出来なかった事を今!してやろうと思います(^v^)二ヤリ・・・
ここは小泊・・・そう、何がきっかけだったか詳細は分からないのですが15世紀前半頃、急速に台頭して来た南部氏は隆盛を誇る十三湊安東氏を猛然と攻める事件が起こりました。永享4年(1432)、ついに安東氏は南部氏に敗北し蝦夷に逃がれていました。
しかし、この時は室町幕府による和睦命令により再び十三湊に戻る事が出来ました。
発掘調査でも火事場整理の跡が発見されています。
ちょっとだいぶジャングルでしたがfightしました♪

ここは、小泊大潤海岸・・・結構な海水浴場です♪

左側に見える岩の門・・・

きっと、この海岸に船を着けてこの岩の門から小泊の館「柴崎城」へ・・・
え~~っと、小泊観光課さん整備しません?勿体無いです・・・(涙)

急な階段やら微妙登山で息が切れますが途中の小花で癒される・・・

え~~っと、確かここには展望台があった・・・

え~~っと~~、やっぱりもう雪が溶けたので整備しましょうよ~・・・泣きたくなりましたが・・・予算ないんですか?私が町長になればポケットマネーを・・・(爆爆爆)

展望台からの雑草を少しようやく避けて愛ラブ竜飛岬♪

はい、ここからジャングルを抜けて柴崎城まで行きます!!

だってこの道は、その昔・・・安藤康季(あんどうやすすえ)が通った道・・・

うお!私の前に立ちはだかる大きな倒木!!負けまへんで~~!!!

うお~~~!!って、軽く丁度良い所から抜けていきます♪
およそ、15分くらいでしょうか・・・目的地が見えて来ました・・・

あの岩の門は「岩門(がんもん)」って言うんですね・・・

何度か来てる「柴崎城」

駒犬さん、どうもです~!1月に来て以来だっけ?

ここの駒犬さん、いつ来ても本当に人懐こい感じがたまんない(苦笑)

そして午後の光注ぐ「柴崎城」跡・・・

あれ?逆からみた駒犬さん・・・泣いてるように見えるは・・・カラスかゴメの糞のせい???

はい、来たジャングルの道を帰りました・・・本当は現在は通れない道だったようです、逆からロープが張られていました。

軽く登山が終わると本当にホッとします・・・

栄えた湊は現在も栄える・・・

「柴崎城」とは、二度の南部氏による攻撃により安藤康季(やすすえ)が最後に逃げた小泊の館だそうです。
その後は蝦夷(北海道)に逃げたらしいですがその後の様子が分かりません・・・
昔から津軽と南部は・・・と言われる事柄がいっぱいあったようです・・・
それでも、この小さい青森県・・・
策は他にもあったのではないかと思えてしょうがないのです・・・
同じ青森・・・
もっと考えられる事があったのではないかと・・・
今さらですね・・・当時の人にしか分からない事がいっぱいあったんだと思うしかないです・・・
私の安藤的!!あと一回続きます♪
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