安藤水軍的 唐川城展望台から得意の妄想♪
- Day:2019.05.28 20:25
- Cat:十三港
マクロス : 天使の絵の具 (リン・ミンメイ & ミレーヌ・フレア・ジーナス Duet Version) ♪
なんだか以前行った時の記憶がありません(爆)
なので改めて行って来ました・・・多分どこかのカテゴリーとか記事には残ってるはず(爆)
とにかく天気が良くって、岩木山がとっても綺麗でした・・・
「唐川城展望台」

このすぐ上の山の方で、平成11年~13年度にかけて富山大学による発掘調査が行われていました。

その結果、唐川城は平安時代後期(10世紀後半~11世紀)に築城された高地性環濠集落である事が分かりました。
高地性集落・・・とは???って思って調べたら・・・
※ 日本の弥生時代中・後期に平地と数十メートル以上の標高差があり、平地や海など周囲を眺望出来る山頂や丘陵の尾根上などに形成された集落戸の事・・・
あれ?ちゃんと撮ったつもりだったんですがボケてる???(涙)

十三湖北側の標高160mの独立丘陵にあって、中世に「西浜」と呼ばれた地域を一望出来ます・・・

南部氏によって最後に安東氏が最後に立て籠った詰め城とされていました。
また、菅江真澄の著書「外ヶ浜奇勝」の中では、「阿倍のやからのふる館のあとありと聞て、見にいなん。はた、そこをむかし春品寺といひて、~」或いは、「この山おくに入て、ふる城のありしあと見んといえど「天注一阿倍館いふあり、安日の末、安東のかまへたりしむかしのあとにやあらんかし」と記録しており唐川城については安東氏の館跡であると地元民から聞いて書き記しています。

このあと、どうしてもお腹が空いて道の駅十三湖へGO☆
私は海鮮定食、しじみ汁付き♪

相方氏は、ミニ海鮮丼付きのラーメン定食♪

お腹を満たした後は中世のメインロードであるこの場所へ、その昔何かの怒りでどうしようもなくなった南部氏が火を放った中心街

今はその跡なんかなく畑があるだけ・・・それでいいと思うの・・・昔の悪い事は忘れていいと思うの・・・
ちょっと、立たずんでいたら犬を連れたマダムが話しかけてきました。
マダム 「あんた何やってら?」
P 「え~~っと、私歴史が好きで安東水軍を巡っていまして・・・」
マダム 「ふーん、ここず~~~っと行けるよ!いつも犬と散歩してらんだ!」と、写真を撮らせてもらう♪

十三湖の湖はそれはそれは、静かに・・・

実は中の島ブリッジパーク内にある「安東文化のふるさと」を資料とかビデオとかいっぱいに堪能して来ました。
ただ、撮影が出来なくってあと、少し自分夜勤明けで酔っぱらっていた為にちゃんと見れなくって(爆)
それでも興味がある人には見る価値があると思うわけです・・・
私と相方氏、一時間半くらいいちゃいまいた(爆)
あ、私は夜勤明けで飲んでたのでほぼ寝ちゃっててちゃんと見て無かった(爆)
でも、相方氏はちゃんと見てて「見ごたえあった」とかって・・・(爆)
誰が見に来たのか分からないっす(涙)
とにかく、まだまだ掘り下げれば出て来そうな安東水軍!!
まだまだチャンスがあれば追って行きたいと思っています☆
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